志村けん「アイーン」誕生秘話も!懐かしの昭和芸人一発ギャグは意外なきっかけで生まれた (2/4ページ)

日刊大衆

“こうやったら笑ってください”と言って、ゲンコツを額に当てるだけでドッと沸き、その後の“どうもすいません”で、さらに大爆笑ですから」(前出の記者)

 高座を掛け持ちしながら、テレビやラジオの仕事を一日十数本こなす日々で、正月三が日だけで108本の番組に出演したという。

「生放送の番組で時間があまってしまい、カメラに向かって思わず言ったのが“どうもすいません”だったそうです。三平の父、七代目・林家正蔵が使っていた“どうもすみませんです”が元になっているともいわれていますね」(前同)

■1970年代に生まれた名作ギャグ

 そして、70年代には、萩本欽一・坂上二郎のコント55号とザ・ドリフターズが、数々のギャグを生み出した。

 コント55号は、萩本の「なんでそうなるの!」と、坂上の「飛びます! 飛びます!」が大ヒット。

「55号のコントは、一般市民役の坂上が、萩本ふんするおかしな人物に振り回されるパターンでした。アドリブだらけの萩本と、それに狼狽する坂上の姿が、なんとも面白かった」(同)

 追い詰められて発せられる坂上のボケ。そんな中で生まれたのが“なんでそうなるの!”だった。

 対するドリフは、アドリブに頼らず、徹底的に台本を練り込んで演じるコントで、55号に対抗。

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