野心むき出し!女帝陛下の崩御に乗じて朝廷に謀叛した蝦夷の族長・宇漢迷公宇屈波宇 (3/5ページ)
道嶋嶋足がその後も活動しているのに対して、宇屈波宇の姿は見当たらない……ということは、交渉が決裂して殺されでもしたのでしょうか。
この4年後、宝亀5年(774年)に海道蝦夷(かいどうえみし。北上川下流域から三陸沿岸にかけて住んでいた蝦夷)たちが桃生城を襲撃する事件が発生。殺された宇屈波宇の仇討ちであった可能性も否定できません。
ただし4年間と期間が空いているため、宇屈波宇の死は直接の原因ではなく、怨みを募らせる一因程度であったとも考えられます。
また、この4年間において蝦夷たちが騒然とした(謀叛を疑われるような大規模行動を企図した)記録もありません。そのため、宇屈波宇が大人しく矛を収めて円満解決したのではないでしょうか。
「中将ドノが出て来られちゃあ、勝ち目はありやせん。仕方ねぇ……ここは折れまさぁ」
「……賢明だ」
けっきょく宇屈波宇の怒りが収まることはなく、陸奥国府には戻らなかったようですが、謀叛は未然に防がれたようです。
宇屈波宇の子孫たちその後、宇屈波宇の一族は再び朝廷に臣従し、その漢字表記も宇漢迷から宇漢米に改められています。
「迷」うというネガティブな文字から之繞(しんにょう)をとり、天地の恵みである「米」へ。あるいは宇屈波宇の血迷った?行動に対して彼一代のみ迷の字が当てられたのでしょうか。