野心むき出し!女帝陛下の崩御に乗じて朝廷に謀叛した蝦夷の族長・宇漢迷公宇屈波宇 (2/5ページ)
そんな宇屈波宇ですが、神護景雲4年(770年。後に改元して宝亀元年)8月10日、第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう。女帝)の崩御(8月4日)を待っていたかのように陸奥国府を去ってしまいます。
「一体、どうした事だろう……?」
天皇陛下が崩御された混乱に乗じて兵を起こそうとでもしているのだろうか……ただちに戻るよう国府から使者を派遣したところ、宇屈波宇の返事は案の定
「同族を率いて必ずや城柵を侵す(攻め込む)」
という謀叛の野心をむき出しにしたものでした。今まで称徳天皇に何か虐げられでもしたのでしょうか。
しかし、このまま攻め込まれては困ります。陸奥国府は朝廷にどう対応するべきか相談し、近衛中将と相模守を兼任する道嶋嶋足(みちしまの しまたり)が派遣されました。
決裂?和解?説得の結果は……道嶋嶋足は陸奥国牡鹿郡(宮城県女川町、石巻市南部)の出身で、武勇に優れ人望にも厚い歴戦の名将です。
「宇漢迷公の真意を確かめ、叛意あらば説得に努めよ。最悪、殺しても構わぬ」
「ははあ」
かくして道嶋嶋足は宇屈波宇と会見しましたが、話し合いの内容や結果などは記録が残されていません。
単に記録が散逸してしまった可能性が高い一方で、記録に残せないようなやりとりがあった可能性も考えられます。