我こそ次の鎌倉殿…源実朝の暗殺後、将軍位を狙って挙兵した源頼茂の野望【鎌倉殿の13人】 (3/5ページ)

Japaaan

そして実朝の死を知った頼茂は、将軍の座を狙って謀叛を計画します。

奮戦するも武運つたなく、火を放って自刃

……が、謀議はあっさりと発覚。

承久元年(1219年。4月12日に改元)7月13日、後鳥羽上皇(演:尾上松也)は兵を派遣して頼茂らが宿舎とする昭陽舎を完全包囲させました。

「謀叛の企みはすでに明らか。もはや勝算なきゆえ、潔く降られよ!」

将軍の座を目前?にして、野望を捨てきれなかった頼茂は昭陽舎から撃って出て、内裏の中央にある仁寿殿まで突き進みます。

が、もはやこれまで。頼茂は仲間の藤原近仲(ふじわらの ちかなか。右近将監)や源貯(みなもとの たむる。右兵衛尉)、平頼国(たいらの よりくに。前刑部丞)らと共に自刃して果てました。

燃え盛る仁寿殿(イメージ)

それだけならまだよかったのですが、どうせ死ぬならとばかり放った火が内裏じゅうに延焼。観音像や仏具など様々な宝物が失われてしまいます。

コノ年ノ七月十三日。俄ニ頼政ガ孫ノ頼茂大内ニ候シヲ。謀反ノ心起シテ我将軍ニナラント思タリト云事アラハレテ。在京ノ武士ドモ申テ。院ヘ召ケレドマイラザリケレバ。大内裏ヲ押マハシテウチケルホドニ。内裏ニ火サシテ大内ヤケニケリ。左衛門尉盛時頸ヲ取テ参リニケリ。伊予ノ武士河野ト云ヲカタライケルガ。カウカウト申タリケルト聞ヘキ。

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