敗者から見た「鎌倉殿の13人」文武両道に優れた公達、誰もがその死を惜しんだ平忠度とは?【後編】 (1/5ページ)
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、源義経に余りにもあっけなく滅ぼされてしまった平氏。
源平争乱のシーンで表に出てきたのは、平清盛・宗盛・維盛くらいでした。これでは、平氏が余りにも可哀そう。そこで、今シリーズでは、滅びの美学という視点から、平氏の中で特に煌めきを残した人物を紹介します。
今回は一ノ谷の戦いに散った、平忠度(たいら の ただのり)。【前編】では、武将・歌人としての忠度を紹介しました。
敗者から見た「鎌倉殿の13人」文武両道に優れた公達、誰もがその死を惜しんだ平忠度とは?【前編】【後編】は、忠度の最期についてお話ししましょう。
一ノ谷で壊滅的な敗北を喫した平氏
須磨浦公園に立つ源平史蹟・戦の濱の碑(写真:Wikipedia)
1183(寿永2)年7月、「平家にあらずんば人にあらず」とまで言われた平氏は木曽義仲の軍勢に追われ、京の都を脱出します。世にいう「平氏の都落ち」です。
しかし、平氏はこのままでは終わりません。
