敵前で退くなど出来ぬ!江戸時代の武士道バイブル『葉隠』より、柳川七騎の偏屈すぎる武勇伝 (2/4ページ)
作戦を無視して、退却命令も無視!偏屈な武辺者たち
時は慶長5年(1600年)、鍋島直茂は立花宗茂(たちばな むねしげ)の立て籠もる柳川城(現:福岡県柳川市)に攻めかかりました。
柳川城は柳川三年……攻め落とすには三年の歳月を要するとまで謳われた難攻不落の名城。なかなか攻略の糸口がつかめません。
「何とか城内から敵をおびき出すことはできないものか……」
一計を案じたのは、直茂の養子である鍋島茂里(なべしま しげさと)。
「堀に橋板を架けて少数の兵を進め、挑発するのはいかがでしょうか」
堀を渡って敵をおびき出し、堀のこっち側まで誘導してから反撃に転じれば、敵は後退しようにも堀に阻まれて進退窮まるでしょう。
「よし!それで行こう」
ということで、さっそく橋板を架けて少数の部隊を渡らせます。すると狙いどおりに城内から敵が出て来たので、頃合いを見て退却をはじめました。
「退け、退け!」
しめしめこれで作戦どおり……と思った茂里でしたが、見ると橋板の向こうに7名ばかり残っている者たちがおります。