敵前で退くなど出来ぬ!江戸時代の武士道バイブル『葉隠』より、柳川七騎の偏屈すぎる武勇伝 (4/4ページ)
「たとえ命令でも作戦でも、退くなんて絶対に嫌だ!」偏屈な鍋島武士(イメージ)
一三五 柳川七騎の事 七左衛門、牛島監物、相浦三兵衛、秀島四郎左衛門(源兵衛親)、田代猪之助、田代大右衛門 一人不足。
丸堀の橋板を迦し置きたるを、勢いに乗じて乗り越え戦ふ所に、城中より大勢討つて出で、味方引色になりし時、唯この七人一足も退かず、踏み留まりて戦ひけるなり。茂里軍慮には、敵を橋の此方に偽り引き出し、取り懸りて川に追ひはめんと思ひ、七左衛門へも申し含めの處に、はやり過ぎて川を越え候となり。
※『葉隠』第六巻より
その後、柳川城は黒田官兵衛(くろだ かんべゑ)や加藤清正(かとう きよまさ)らの仲裁によって開城します。
茂里「……戦さには勝ったが、闘いには敗けた気分じゃな」
例の七人は大目玉を食ったことでしょうが、人々からは柳川七騎と讃えられました(一人不足とされた残り1名、けっきょく誰だったんでしょうね)。
武名を守り、信念を貫くためなら、主君の命令も戦さの勝敗も知ったことか……偏屈にもほどがありますが、こういう武辺者たちに支えられて鍋島家は戦国乱世を生き抜いてきたのでした。
※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 中』岩波文庫、2011年6月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
