本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【前編】 (1/4ページ)

Japaaan

本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【前編】

時は天正10年(1582年)6月2日。京都・本能寺に滞在していた織田信長(おだ のぶなが)が、重臣の明智光秀(あけち みつひで)に襲撃され、命を落としてしまいました。いわゆる「本能寺の変」です。

戦国乱世を駆け抜けた偉大なる英雄の退場。あまりにもあっけない死に衝撃を受けた人々は、この謀叛は光秀の単独犯行でなく、光秀を陰で操る「黒幕」がいたと提唱します。

火中に身を投じる信長。楊洲周延「安田作兵衛 織田信長」

では、信長を歴史から抹殺した「黒幕」とはいったい誰なのでしょうか。

日ごろ一番の忠義ヅラをしていた羽柴秀吉(はしば ひでよし)か。

それとも愚直に寄り添っていた盟友の徳川家康(とくがわ いえやす)か。

あるいは京都を追われ、室町幕府の復活を企む足利義昭(あしかが よしあき)か。

もしかしたら、武家から権威を取り戻したかった朝廷のご意向か。

中には日本やアジア征服を企んでいたというイエズス会が……なんて説まで。

「本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、戦国大名明智光秀戦国時代本能寺の変織田信長カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る