本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【前編】 (3/4ページ)
しかし光秀が必ずしも承諾するとは限らず、何なら信長に黒幕による信長暗殺の意図を通報してしまうリスクもあるでしょう。そうなったら一巻の終わりです。
(暗殺の意図がバレても堂々とできるほどの勢力を持っているなら、そもそもリスクを冒して光秀をそそのかすなどせず、自ら信長暗殺を主導するでしょう)
まぁ、そこは幸運にも光秀が同意してくれたものとします(実際に暗殺を決行していますし、まったく殺意がなかったということもなさそうですから)。では、信長暗殺はいつ決行するのでしょうか。
「そんなの6月2日に決まってるでしょ?」
「何か完璧な計画があって、それを実行したから成功したんでしょ?知らんけど」
なんて思う方がいるかも知れませんが、それは結果を知っているから言えるのであって、信長暗殺が高確率で成功する(計画を決行できる)条件が揃うかどうかを事前に予測するのは非常に困難(というより、現実的に不可能)なのです。
あり得ないほどの好条件がたまたま出現信長暗殺が成功するであろう条件を考えると(1)織田家の有力武将がみんな畿内(信長の近辺)から出払っており、かつ(2)光秀だけが畿内で大軍を率いていることが必要になります。
じゃあ当時はどうだったのでしょうか。中国地方の毛利氏と戦っている羽柴秀吉、北陸地方で上杉氏と戦っている柴田勝家(しばた かついえ)はともかく。他の武将たちが畿内から出払ったのはつい最近のこと。
滝川一益(たきがわ かずます)が北関東方面へ向かったのは天正10年(1582年)3月、織田信孝(のぶたか。信長の三男)・丹羽長秀(にわ ながひで)が四国に出陣したのは同年5月7日。
そして光秀が秀吉の援軍として中国地方への派遣を命じられたのが同年5月17日。つまりそれ以前には軍勢を集めることが出来ません(理由なくそんなことをすれば、それこそ謀叛を疑われるため)。