本能寺の変に「黒幕」はいたのか?たぶん明智光秀の単独犯行だった「四国政策転換説」を紹介【前編】 (4/4ページ)

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信長の後継者として織田家を主導していた信忠。総見寺蔵

さらに5月17日から兵を集めても、信長は既に家督を嫡男の織田信忠(のぶただ)に譲っており、信長だけ討ったところで信忠によって鎮圧されてしまうでしょう。

となると謀叛の成功には先ほどの条件に「信長と信忠を同時に討てること」を追加しなくてはならないのです。

畿内に無防備な信長・信忠父子、そして大軍を擁する光秀だけがいる

そんな都合の良すぎる状況を前提とした暗殺計画を立てたところで、何の実現性もない……と思っていたところ、それがたまたま起こった(※)からこそ、光秀は間髪入れず「本能寺の変」を決行したものと考えられます。

(※)徳川家康を接待するため、堺へ向かおうとしていた信忠が、父・信長を迎えるため京都に留まっていたのでした。

【後編へ続く】

※参考文献:

呉座勇一『陰謀の日本中世史』角川新書、2018年3月

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