生きながらにして死を経験し克服するチベット密教の瞑想技法「ポワ」 (2/3ページ)
「ポワ」を修めておらず、死後バルドに彷徨っている人にはせめて三悪道に転生しないよう正しく導くために「死者の書」を読み聞かせる。臨終を迎えた者に対する「死のガイドブック」というわけである。その描写は臨死体験者の証言などとも類似しており非常に興味深い。
しかし、可能なら生きているうちに「ポワ」を学んでおく方が賢明といえる。「ポワ」を学び意識の変容が体験できれば、たとえ行が成就しなくても、死がすべての終わりではないと知ることはできるはずである。だがそのような神秘体験は脳内物質が作った幻視ではないのかと指摘する向きもあるだろう。そこはエピクロス(BC341〜270)が言うように、死後生が無ければその結果はわからないのだから、瞑想体験による主観的事実を真実として依ってみても構わないのではないだろうか。
アメリカでは「死者の書」を現代的に再編集したものがホスピス病棟やターミナルケアの場で利用されている。「ポワ」の技法がどこまで反映されているかは不明だが、病棟では瞑想も併用されているという。
■歪曲されたポワの教え
現代では「ポワ」という響きはかなり人口に膾炙していると思われる。やがて死ぬ私たちにとって大きな意味があると思われる「ポワ」だが、「ポワ」を知っている人のほとんどは全く異なる意味に置いて認識しているはずである。オウム真理教がテロ、殺人行為に対して「ポアせよ」「ポアする」などという隠語として転用したからだ。教団では殺人行為、つまり他者の生命活動を強制的に停止させることを「意識を転移させてやる慈悲行」と捉えたのである。 今や「ポワ」は殺人を意味する用語になってしまった。これはとんでもない話である。
幸いというか今の若い世代はオウム事件を知らない人も増えているようだ。曲解された「ポワ」もこのまま死語になってくれれば良いのだが、知らない故にオウム系の団体に入信する数もまた増えているとも報じられており、むしろ曲解された「ポワ」が復活する可能性もある。「ポワ」の正しい意味と知識を伝えることは、本来の意味を知る者の努めだろう。
■リアルな死後世界
死はすべての終わりか。死んだあと私たちはどこへ行くのか。死に新たな意味を持つことができるなら私たちの死生観は大きく変わる。