洒脱でラップ調な狂歌で藩政を批判…江戸時代の高僧・仙厓義梵が詠んだ心意気 (3/4ページ)
せめて一矢、もとい一筆報いてやろうと、仙厓は達筆を奮って狂歌を一首詠みました。
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よかろうと 思う家老は 悪かろう
もとの家老が やはりよかろう【意訳】お殿様のひいき目でよ「かろう」と思っている「家老」は、民の目から見て悪「かろう」と思う。元の「家老」が、やっぱりよ「かろう」と思うので、出来れば戻して欲しい。
五・七・五・七・七の全パートに「かろう」を盛り込み、5回も「かろう」を繰り返す軽妙洒脱なラップ調。ちょっと口に出してみたくなりますね。
民衆からは大いに共感を集めたでしょうが、藩主様としてみれば自分の不明を批判されており、当然面白くありません。
「あの坊主、どうしてくれようか!」
かわいそうに仙厓は、美濃国から追放されてしまったのでした。
エピローグから傘を 広げてみれば 天が下
たとえ降るとも みのはたのまじ【意訳】唐傘があれば、雨降りに蓑(みの。雨具)がなくても大丈夫。そしてこの広い天下で、何も美濃(みの)国ひとつに執着することはない。
「ケッ。あんな暗君の下など、こっちからお断りじゃ!」
そんな強がりと言うか負け惜しみが込められた狂歌に、仙厓の意地が感じられます。
果たして美濃国を去った仙厓は天明8年(1788年)、博多の聖福寺に滞在。