なぜ、熊野詣(熊野御幸)に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?その核心に迫る【その3】 (4/7ページ)
事実、院政が開始されると、それまで摂関家に集中していた荘園は、上皇のもとに集まるようになります。また、新しい時代の担い手である武士たちも上皇に仕えるようになり、北面の武士が形成されます。それに従い、摂関政治は急速に衰えていきました。
摂関政治の最盛期を築いた藤原道長(写真:Wikipedia)
上皇は、権力・財力・武力をあわせ持った権力者としての地位を確立したのです。しかし、その権力は、白河・鳥羽の両上皇までは絶対的であったものの、それ以降の後白河・後鳥羽の両上皇の時期になると万全なものではなくなってきます。
天皇なくては存在意義がなかった摂関政治に代わり、武力を背景にした武士たちの影がちらつき始めるのです。
しかしながら、院政の最盛期であった鳥羽上皇は、父の白河上皇がブームに火をつけた熊野御幸をさらに盛んなものにしました。
権力と富を手に入れた2人の上皇にとっては、熊野詣は「来世の安泰」を祈願する真摯な信仰心からであったと思われます。