なぜ、熊野詣(熊野御幸)に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?その核心に迫る【その3】 (5/7ページ)

Japaaan

権謀術策の末、極楽往生を願った後白河法皇

在位35年間の中で34回と最多の熊野御幸を行ったのが後白河法皇です。法皇は、二条・六条・高倉・安徳・後鳥羽の5代にわたり院政を行いました。

権謀術策をめぐらし多くの武士たちを滅ぼした後白河法皇(写真:Wikipedia)

その生涯は、台頭著しい平氏・源氏の武家勢力に対し、権謀術策を用いて武士同士の争いを起こさせることに専念したといっても過言ではないでしょう。

その結果、木曽義仲・平氏一族・源義経・奥州藤原氏など多くの武士たちが滅んでいきました。

後白河法皇に罪の意識があったかどうかは分かりません。しかし、自らが操ることにより滅亡へと追い込んだ者たちへの怖れは、絶えず法皇の中にあったと思われます。

「浄土」があるとされる神聖な熊野を数多く詣でることで、「来世の安泰」すなわち「極楽浄土」を願ったと考えても不思議はないでしょう。

僧兵勢力掌握のため熊野御幸を行った後鳥羽上皇

後白河法皇に次いで、28回と多くの熊野御幸を行ったのが孫の後鳥羽上皇です。上皇の在位は24年間。およそ1ヵ月を費やすといわれる熊野御幸を10ヵ月に1回という驚異的なペースで行ったことになります。

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