理解しようとする姿勢が尊い…御家人の拙い訴えに耳を傾けた源実朝のエピソード【鎌倉殿の13人】 (3/4ページ)
御所に対して謀叛を起こすつもりがない証しとして進んで自首し、武具も差し出したのに、まるで謀叛人のように手荒く扱われるのは納得が行かぬ』……と」
「へぇ、そういう事なんですね」
「そういう事だ……と思う。して、和田の爺ぃよ」
「何でやしょう」
「この書面は筋が通っていないから、軽々に判断すべきではないと思うが……ところで今日は何の日だ?」
「何の日なんですか?」
「そう、亡き父上(頼朝)の御月忌(おんつきいみ。月命日)である」
「13日……言われてみればそうでしたな(※頼朝は1月13日に薨去)」
毎月13日は頼朝公の月命日。鎌倉幕府のボーナスで―だった?(イメージ)
「そこで、だ。このご縁ある日にこういう書状を受け取ったということは、きっと冥土の父上も三郎の真意を汲みとられているはず」
「……ですかねぇ?」
「間違いない。三郎に伝えよ。『源家累代の忠功により、此度ばかりは罪を免じる』と」
……これにて一件落着……でしょうか?
終わりに承元三年六月小十三日乙亥。土屋三郎宗遠捧款状。是右大將軍御時以來竭勤厚也。家茂者謀叛人景時孫子也。奉公与不忠。難被對揚之間。雖進兵具。爭被召禁之乎。失眉目之由載之。義盛執申之。將軍家直覽之。仰云。状之趣無其理。當時雖不可有沙汰。當于先考御月忌有此愁。併奉優彼照鑒。被厚免之云々。
※『吾妻鏡』承元3年(1209年)6月13日条
かくして罪を赦された土屋三郎宗遠。