父母の大恩を教えそれに報いる孝の道を説く「仏説 父母恩重難報経」 (3/3ページ)

心に残る家族葬



■父母恩重経が響かない人々

一方で、親による虐待や「毒親」、「ネグレクト」など親からもらった恩など認めないという人もいるだろう。そのような家庭環境に育った人には、この経典はまったく響かないどころか、むしろ嫌悪の念を抱くのではないか。しかも、子は子の方で、親を捨てる「姥捨て山」など、必ずしもかつての人々も親孝行だったわけでもない。だからこそ仏教は繰り返し、人としてあるべき正しい道を説き続けてきた。

そのような悪しき家庭環境の原因は、前の世代における「恩」や「孝」の欠如にある。特に現代社会は、故郷から都会に出て新しい家族が形成される核家族化の世代と、祖父母までの縁が切れつつある。親は子に、自分がその親から、子にとっての祖父母の慈愛に育てられたことを示せないのである。語り継がれ、引き継がれてきた、大切な「恩」「孝」もそこで終わることになる。その後の世代からは「つながり」よりも「個」を重視する個人社会が到来する。

道徳や倫理を超えた「真理」を説く仏教が、父母の恩徳を語ることには大きな意味がある。つまり父母の慈愛の存在は真理であるとすることだ。相対的な価値観の問題ではなく、絶対的な真理である。仏法は親が子を虐待し、子が親を捨てるなどは人の道から外れていると断言する。

■子を宿し育てる意味

人が子を宿す意味とは何か。ただの種族維持本能だろうか。苦労して育ててもやがて巣立っていく子を宿す意味とは。やはりそこには理屈抜きの慈愛があるのではないか。慈愛が次の慈愛を生み繋いでいく。父母の慈愛を「恩」として感謝し「孝」として報いる。その縁が切れつつある個人主義の社会は、無縁社会、孤独死の結末を迎えることになるのではないか。

多感な時期には「生んでくれと頼んだ覚えはない」と親不孝なセリフを投げることもあるだろう。それが成長し自らの子と共に墓の前で、「生んでくれてありがとう」と手を合わせることができるようになれれば、それほど幸せなことはない。「父母恩重経」は今こそ読まれるべき経典といえる。お盆、お彼岸、命日、父の日や母の日…などに一読を薦めたい。

■参考資料

■「父母恩重経」原文
■「父母恩重経」対訳


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