父母の大恩を教えそれに報いる孝の道を説く「仏説 父母恩重難報経」 (2/3ページ)
■父母恩重経は偽経
「父母恩重経」は実はインドの原始仏典には存在しない。いわゆる偽経である。他にもよく知られる「盂蘭盆経」など、親子の人倫を説く一群の経典がありそれらは「仏説孝経」(孝経典)と呼ばれる。仏教が伝来した中国では仏教思想をそのまま受け入れるわけにはいかなかった。中国には既に儒教や老荘思想が根付いている。仏教がインドで生まれた以上インドの土着思想が反映されているのは当然である。日本でも「惟神の道」のちに神道と呼ばれる古来よりの信仰と混じり合い神仏混淆となったように、中国でも仏教伝来の初期には、禅を老荘の思想で解釈した格義仏教などが成立した。そうした中で「父母恩重経」は、人の道の倫理「人倫」を重視する儒教の「孝」の観念を取り入れたものと言われている。
■仏教には孝という観念がない
仏教には「孝」という観念がない。仏教の思想はこの世の執着を捨てることにある。煩悩・欲望はもとより、愛する者ですら、愛する者こそ大切に思い、離したくないと願い、失った時の悲しみは大きい。元々執着しているからこその苦である。そんなものは捨てよというわけだ。捨てるべき世俗のしがらみには家族、縁者などの共同体も含まれる。王子であった釈迦本人からして、国を捨て親を捨て、授かった息子に「ラーフラ」(障碍)と名づけるに至る。徹底しすぎている感もあるが、仏教が無執着、一切空、諸行無常、諸法無我と、現実世界に重きを置かないのは事実である。
こうした一般社会の倫理から逸脱しているように見える仏教の出家主義は、人倫の徳を重視する儒教などから厳しく批判され、仏教排斥論の主な論拠とされた。
「仏説孝経」(孝経典)が作り出されたのは、こうした非難に対処するためであったことは間違いないと思われる。しかし、結果としてインド仏教に欠けている親の慈愛、親子のつながりという部分が加わり、仏教がより普遍的な宗教として完成されたともいえる。「恩」「孝」「慈悲」…いずれも現代社会に欠如している概念であり、その欠如は深刻な問題である。仏教がシルクロードを超え中国に渡り、漢訳される過程で孝経典が生まれたことは、時代を超えたいかなる問題にも対応できるようになるための必然だったかもしれない。