絵師でありながら、槍をふるって斎藤利三の遺骸を奪還した海北友松(かいほうゆうしょう)とは【その2】 (2/4ページ)

Japaaan

織田信長の後継者として天下統一を果たした豊臣秀吉。(写真:Wikipedia)

織田信長のもとで、浅井攻めに従事していた豊臣秀吉は、綱親の知勇兼備の才覚を恐れていたという。そして、後に友松を謁見した時に、

敵と味方に分かれていたとはいえ、そなたの父は、余の軍(いくさ)の師であった。

と感慨を述べている。

海北家の再興を目指す過程で出会った人々

海北友松は、文化人・武家を問わず、幅広い人脈との交流を図った。それは、お家再興を目指す友松にとって必要な活動だった。

なかでも、二人の人物と運命的な出会いを果たし、生涯にわたり熱い友情で結ばれていた。

そんな親友の一人が、京都真如堂の塔頭東陽坊の住持・東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)だ。

そしてもう一人の親友が、明智光秀の家老・斎藤内蔵助利三(さいとうくらのすけとしみつ)だった。

長盛は僧侶でありながら、茶の湯を千利休に学んだ文化人として知られる。その縁で友松は、大名であり当代きっての知識人といわれた細川幽斎(ほそかわゆうさい)の知遇を得ることになる。

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