絵師でありながら、槍をふるって斎藤利三の遺骸を奪還した海北友松(かいほうゆうしょう)とは【その2】 (4/4ページ)
だが、明智光秀と細川幽斎が盟友関係にあったため、おそらくは幽斎を主とする茶会を通して知り合ったのではないだろうか。
また、友松が光秀に会ったという記録は残されていない。しかし、利三は明智家で筆頭家老を勤めているので、光秀とは顔見知りであったことは想像に難くない。
光秀は、斎藤義龍により家を滅ぼされ、諸国を流浪しながら、明智家再興を目指した。そして、織田信長のもとで才覚を表し、30万石を超える大名に出世した。
織田家において信長に最も信頼された武将の一人明智光秀。(写真:Wikipedia)
同じように実家の再興を目指していた友松は、そんな光秀に対し羨望を通り越し、畏敬の念すら抱いていたのではないだろうか。
【その2】はここまで。【その3】では、山崎の戦いにより非業の死を遂げた斎藤利三に対し、友松がとった行動と、その後についてお話ししましょう。
<参考文献>
葉室麟著 『墨龍賦』(PHP研究所/PHP文芸文庫)
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan