絵師でありながら、槍をふるって斎藤利三の遺骸を奪還した海北友松(かいほうゆうしょう)とは【その2】 (1/4ページ)

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絵師でありながら、槍をふるって斎藤利三の遺骸を奪還した海北友松(かいほうゆうしょう)とは【その2】

狩野永徳・長谷川等伯と並び称される江戸初期の絵師・海北友松(かいほうゆうしょう)を紹介するシリーズの2回目。

前回の記事

絵師でありながら、槍をふるって斎藤利三の遺骸を奪還した海北友松(かいほうゆうしょう)とは【その1】

父の死により京都東福寺に入った友松だったが、海北家は主君浅井長政とともに織田信長により滅ぼされた。

友松は、画家として活動する傍ら、海北家の再興を目指すことになる。

【その2】では、主君・浅井家の滅亡と運命をともにした実家・海北家の再興を目指す友松が、その過程で出会った斎藤利三を始めとする人々のお話をしよう。

海北友松と妻の妙貞。(写真:Wikipedia)

武門の誉れ高い友松の父・海北綱親

友松の実家・海北家は、北近江の戦国大名浅井家の重臣の家柄である。

友松の父・海北綱親は、浅井家中にあって赤尾清綱・雨森清貞と並び、浅井三将と称された一人で、浅井軍の軍奉行(いくさぶぎょう)として軍事全般の総指揮にあたった人物だった。

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