絵師でありながら、槍をふるって斎藤利三の遺骸を奪還した海北友松(かいほうゆうしょう)とは【その3】 (4/5ページ)

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3代将軍徳川家光の乳母として権勢を誇った春日局。(写真:Wikipedia)

春日局は友松没後に、友松の妻妙貞と子の友雪(ゆうせつ)を江戸に招いて歓待するとともに、将軍家光のもとに召し出し、江戸に屋敷を与えた。

友雪は絵師としての活動の傍ら、小谷忠左衛門として京都で絵屋を経営し生計を立てていたが、この時から友雪を名乗り、本格的な画壇デビューを果たす。その後は、幕府はもとより、後水尾上皇などの宮廷御用を勤め、法橋に任ぜられている。

絵師として武士として己を貫いた海北友松

晩年の海北友松は、大名家や宮中と親交を深めつつ、悠々自適な生活を送り、絵を描き続けた。

その中で、多くの文化人や教養人と交わり、そこで得たものを作品に投影していく。そして、『浜松図屏風』『網干図屏風』『山水図屏風』などの名作を描き、従来の水墨画の常識を覆す、立体感のある山水画の画風を確立した。

晩年の海北友松。(写真:Wikipedia)

1615(慶長20)年6月2日、友松は83歳でその生涯を閉じた。

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