絵師でありながら、槍をふるって斎藤利三の遺骸を奪還した海北友松(かいほうゆうしょう)とは【その3】 (3/5ページ)
拙僧は、旅の僧にござる。弔いのために参上した。
それと同時に友松が飛び出し、番兵たちに槍を突き付ける。
すわっ、明智の残党ぞ!出会え、出会え!
うろたえる番兵たちを蹴散らすように友松の長槍が唸りを上げた。その隙に長盛が斎藤利三の遺骸を背負い、真如堂へと走った。
友松は長槍を振るいつつ、明智光秀の遺骸の奪還を試みる。しかし、敵が友松一人と判ると、続々と応援の兵たちが刑場に駆けつけてきた。
最早これまで、明智様、お許しを!
友松は光秀の遺骸に一礼すると、忽然と闇の中に姿を没した。
真如堂に戻った友松と長盛は利三の遺骸を手厚く葬った。今も真如堂には、東陽坊長盛・海北友松・斎藤利三の墓が並んでいる。
真如堂境内の海北友松・斎藤利三・東陽坊長盛の墓。(写真:高野晃彰)
斎藤利三の子・ふく(春日局)を厚く庇護する『海北家由緒記』によると明智光秀が滅びた時、友松は斎藤利三の妻子を匿い、厚く庇護したという。
その子が、後に江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母となり、老中を凌ぐといわれた権勢を確立した春日局(かすがのつぼね)こと、斎藤ふくだった。