絵師でありながら、槍をふるって斎藤利三の遺骸を奪還した海北友松(かいほうゆうしょう)とは【その3】 (5/5ページ)

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武家としての海北家の再興を夢見たが、ついにその夢は果たせなかった。

友松ほどの人脈があれば、様々な大名家からの誘いもあっただろう。もし、仕官していれば、その夢は叶ったはずだ。

しかし、友松はそれを潔しとはせず、決して権力者に仕えないという矜持を持ち続け、己が信ずる道を貫いた。

建仁寺の雲竜図の意図

最後に、友松が建仁寺方丈に描いた雲龍図に触れてみたい。

あれは、蛟龍(こうりゅう)だ。

と友松が言った龍の絵である。

蛟龍とは、まだ龍になれず水辺に住む「蛟(みづち)」のことで、中国の想像上の動物。蛟は雲雨に会えば、天の昇って龍になるとされ、時運を得ない英雄・豪傑の例えとされる。

とすると、あの龍は友松自身であったのか、あるいは時運に恵まれず、足早にこの世を去っていった斎藤利三・明智光秀・安国寺恵瓊ら友松ゆかりの人々であったのか。

水墨で描かれた雲龍図。(写真:Wikipedia)

現在、雲龍図は京都国立博物館に寄託されており、特別展などで展示されるので、機会があればぜひ鑑賞していただきたい。

長い文章にもかかわらず、3回にわたりお読みいただきありがとうございました。

<参考文献>
葉室麟著 『墨龍賦』(PHP研究所/PHP文芸文庫)

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