源頼家に妻を奪われたが…泰時の盟友・安達景盛(新名基浩)が剛腕政治家に成長するまで【鎌倉殿の13人】 (4/6ページ)

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月岡芳年筆

もちろんここ一番では鎌倉へ戻り、承久の乱(承久3・1221年)に際しては政子の檄文(演説)を代読し、北条泰時(演:坂口健太郎)に従って東海道を上洛しました。

劇中では少年時代から喧嘩していたやんちゃ仲間と堂々の上洛。大河ドラマでもしっかりと描かれるのが楽しみですね。

ほかにも泰時とは親密な関係を保っており、泰時の嫡男・北条時氏(ときうじ)に自分の娘(後の松下禅尼)を嫁がせ、生まれた北条経時(つねとき)・北条時頼(ときより)は後に執権となりました。

剛腕を発揮して三浦一族を滅ぼす

やがて嘉禄元年(1225年)に政子が亡くなると高野山に籠もり、永らく鎌倉幕政を遠く見守っていた景盛。しかし三浦一族の専横に耐えかねた宝治元年(1247年)4月4日、沈黙を破って鎌倉へと舞い戻ってきたのです。

今日。秋田城介入道覺地〔俗名景盛。藤九郎盛長息〕自高野下着。在甘繩本家云云。

※『吾妻鏡』宝治元年(1247年)4月4日条

安達一族は亡き頼朝の側近ではありましたが、対して三浦一族はそれ以前から代々源家に仕え続けた名門。安達一族を成り上がり者として軽侮していたのでした。

今や鎌倉幕政において、北条&安達と三浦が2トップ。先の宮騒動(寛元4・1246年)によって政治的劣勢となった三浦一族を追い落とす、千載一遇のチャンスです。

だと言うのに、嫡男の安達義景(よしかげ)や嫡孫の安達泰盛(やすもり)、そして執権にして外孫の北条時頼(兄・経時が亡くなって執権を継いだばかり)は何もしません。

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