源頼家に妻を奪われたが…泰時の盟友・安達景盛(新名基浩)が剛腕政治家に成長するまで【鎌倉殿の13人】 (6/6ページ)

Japaaan

しかし弟の三浦光村(みつむら)・三浦家村(いえむら)たちは宮騒動で生じた劣勢を挽回するべく、景盛の挑発に暴発寸前。

続々と両軍に馳せ参じる武士たち。そしてついに6月5日、北条と三浦の武力衝突が勃発してしまいました。

「兄者、事ここに至ってまだ躊躇われるか!」

棟梁の泰村が最後まで和平の意思を示した……と言うより、ここまで来ると肚を括れなかったために三浦方は惨敗。ついには一族500余名が自刃して果てたのです。

ここに源家累代の御家人であった三浦一族は滅亡。もはや抗する者のなくなった北条家(得宗家)による専制体制が確立されたのでした。

終わりに

景盛の孫・安達泰盛。竹崎季長『蒙古襲来絵詞』より

かくして、北条氏の盟友として鎌倉幕政に不動の地位を築いた景盛はすっかり安堵したのか、宝治2年(1248年)5月18日に高野山で亡くなりました。

初登場時こそ政子に助けられていたものの、その恩義から忠勤に励み、北条の守護者に成長した安達景盛。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも承久の乱くらいまでは観られそうなので、これからも新名基浩さんの好演に注目ですね!

※参考文献:

高橋慎一朗『人物叢書 北条時頼』吉川弘文館、2013年7月 北条氏研究会 編『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社、2001年6月 細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月 細川重男『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』朝日新書、2022年8月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「源頼家に妻を奪われたが…泰時の盟友・安達景盛(新名基浩)が剛腕政治家に成長するまで【鎌倉殿の13人】」のページです。デイリーニュースオンラインは、宝治合戦安達義景安達泰盛安達氏北条時氏カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る