源頼家に妻を奪われたが…泰時の盟友・安達景盛(新名基浩)が剛腕政治家に成長するまで【鎌倉殿の13人】 (2/6ページ)
やがて乱行三昧の挙げ句に出家させられ、伊豆修善寺に幽閉された頼家は政子に対して
「安達景盛めを引き渡して下さい。こっちで処分したいので」
……於安達右衛門尉景盛者。申請之。可加勘發……
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)11月6日条
と書状で訴えており、よほど景盛を怨んでいたことが判ります。もちろん政子は
「何を言ってるんですか、ダメに決まってるでしょ。あと、今後は手紙も寄越さないで下さい」
……御所望條々旁不可然。其上被通御書事。向後可被停止之趣……
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)11月6日条
とバッサリです。こうして政子に助けられた恩返しとばかり、景盛は実朝の下で忠義に励んだのでした。
実朝に忠義を尽くし大活躍その後も景盛は実朝と政子の側近として活躍、元久2年(1205年)には旧友である畠山重忠(演:中川大志)討伐の先陣として戦います。