源頼家に妻を奪われたが…泰時の盟友・安達景盛(新名基浩)が剛腕政治家に成長するまで【鎌倉殿の13人】 (3/6ページ)

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更に牧氏の変(北条時政による実朝暗殺計画)、平賀朝雅(演:山中崇)暗殺、宇都宮頼綱(うつのみや よりつな)謀反未遂など多くの案件で幕府の決定に影響を及ぼしました。

建暦3年(1213年)には和田義盛(演:横田栄司)ら一族を滅ぼし、建保6年(1218年)に実朝が右近衛少将に叙任されると、景盛は秋田城介(あきたじょうのすけ。出羽城介)に任じられます。

以来、この秋田城介の官職は代々安達家が世襲することになりました(途絶期あり)。

また所領としては武蔵・上野(現:東京都・埼玉県・群馬県)と出羽(山形県・秋田県)地方を治め、勢力基盤を強固なものとします。

建保7年(1219年)に実朝が暗殺されると菩提を弔うために出家、法号を大蓮房覚地(だいれんぼう かくち。覚智)と称しました。

亡き実朝の為に高野山に金剛三昧院を建立、現地に隠棲したため高野入道とも呼ばれた景盛ですが、遠く離れていながら鎌倉幕政に参与し続けたと言います。

実朝の菩提を熱心に弔いながら、実朝が安心して成仏できるよう鎌倉の行く末にも目を光らせ続けた景盛は、テレワークのはしりとも言えるでしょうか。

出陣する泰時たち。その傍らには景盛も従った。

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