愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【後編】 (4/6ページ)
「嫌だ、それがしも最期まで戦う!何より一族と仲間を見捨てて逃げられるものか!」
「その気持ちは解るが、どうか一族と仲間のためと思って、ここは三浦の家名を守り抜いてほしい」
かくして家村は敵の包囲を掻いくぐって鎌倉を離脱。後に当局の追手から時間を稼ぐために、兄・光村は適当な首級を見繕ってその顔面を判別できないようズタズタに切り裁ちました。
続いて光村自身も「敵に死顔を見せたくないから」と、かねて美貌で知られたその顔をズタズタに切り裂いた挙げ句、自刃して果てます。
果たして6月6日に三浦一族の首級が首実検に出された時、光村と家村の首級については本人と断定できず、調査が続けられました。
「……これは駿河四郎(家村)ではない!」
首級を丹念に調査すること2日間。光村の方は何とか本人と特定できたものの、家村の首級についてはついに調べきれなかったのか(あるいは何か決め手が見つかったのか)、家村の首級は影武者と判断。6月22日の最終報告では「存亡不審(生死不明)」とされます。
「おのれ、してやられたか!」
今さら地団太を踏んだところで家村はとっくに鎌倉を離れ、三河国碧海郡重原荘(現:愛知県刈谷市)に潜伏してその命脈を後世に伝えたのでした。