愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【後編】 (1/6ページ)

Japaaan

愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【後編】

前編のあらすじ

一本の矢から、あわや鎌倉を火の海にしかねない大喧嘩を起こしてしまった三浦家村(みうら いえむら)と上野十郎(こうずけ じゅうろう。結城朝村)。

執権・北条泰時(ほうじょう やすとき)の仲裁によって何とか合戦だけは防げたものの、一歩間違えば大惨事でした……。

前回の記事

愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【前編】

武は平和を守るための力……泰時、豪族らを叱りつける

駿河四郎式部大夫家村。上野十郎朝村。被止出仕。昨日喧嘩。職而起自彼等武勇云々。凡就此事。預勘發之輩多之。雖非指親昵。只稱所縁。相分兩方。与本人等同令確執之故也。又北條左親衛者。令祗候人帶兵具。被遣若狹前司方。同武衛者。不及被訪兩方子細。依之前武州御諷詞云。各將來御後見之器也。對諸御家人事。爭存好悪乎。親衛所爲太輕骨也。暫不可來前。武衛斟酌。頗似大儀。追可有優賞云々。次招若狹前司。大藏權少輔。小山五郎左衛門尉。被仰曰。互爲一家數輩棟梁。尤全身可禦不慮凶事之處。輝私武威好自滅之條。愚案之所致歟。向後事。殊可令謹愼之由云々。皆以敬屈。敢無陳謝云々……

※『吾妻鏡』仁治2年(1241年)11月30日条

さて、翌11月30日。騒動の原因として家村と上野十郎は謹慎処分を命じられます。

「愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、三浦氏宝治合戦三浦泰村三浦家村三浦光村カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧