愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【後編】 (5/6ページ)

Japaaan

終わりに

頼経将軍につかへ、宝治元年兄若狭守泰村が謀反にくみし、六月五日一族みな自殺のときにのぞみて、泰村名族の一時に亡むことを憂ひ、ひそかに家村に命じて後裔をたもつべしとなり。家村遺訓によりて其所を遁れさり、諸国を経歴してのち三河国に閑居す。

※『寛政重脩諸家譜』巻第五百二十一「平氏 良文流 三浦」より

【三浦氏略系図】
為通(三浦初代)-為継(ためつぐ)-義継(よしつぐ)-義明(よしあき)-義澄-義村-家村-義行(よしゆき)-行経(ゆきつね)-朝常(ともつね)-朝胤(ともたね)-正胤(まさたね)-重明(しげあき)-正明(まさあき)-重村(しげむら)-正村(まさむら)-正重(まさしげ)-正次(まさつぐ)-安次(あきつぐ)-明敬(あきひろ)-明喬(あきたか)-義理(よしさと)-明次(あきつぐ)-矩次(のりつぐ)-前次(ちかつぐ)-毗次(てるつぐ)-誠次(のぶつぐ)-峻次(としつぐ)-義次(よしつぐ)-朗次(あきつぐ)-弘次(ひろつぐ)-顕次(たかつぐ)……明治維新

明治維新を迎えた美作国勝山藩主・三浦顕次(画像:Wikipedia)

かくして三河国へと移り住んだ家村がどのような最期を遂げたのか、それを伝える史料は残念ながら残っていないようです。

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