愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【後編】 (3/6ページ)
よいな」
何だったら、そなたらまとめてこの北条が滅ぼしてやろうか……こよなく平和を愛するけれど、ひとたび戦さとなれば断じて退かぬ。そんな泰時を前に、三巨頭は平服せざるを得ませんでした。
「「「ははあ……っ!」」」
なお、家村たちの謹慎は翌12月5日に解除され、再び忠勤に励んだということです。
宝治合戦を生き延びて、三浦の家名を守り抜くとまぁ何かと血の気の多い三浦一族。しかしやがて泰時が亡くなり、執権が北条経時から北条時頼に代替わりして間もない宝治元年(1247年)6月5日、三浦一族は北条時頼によって攻め滅ぼされてしまいました(宝治合戦)。
「最早これまで。武門の習いとて自分の死は覚悟していても、代々受け継いできた三浦の家名を絶やすのは残念でならぬ……」
そこで泰村は家村に対し、戦場からの脱出を命じます。