日本人の宗教観の中心にあるのは神仏以上に死者の存在が大きい (1/2ページ)

心に残る家族葬

日本人の宗教観の中心にあるのは神仏以上に死者の存在が大きい

8月はお盆、9月は秋分の日と墓参の季節が続く。自宅、あるいは実家にある仏壇の中心にはその家の宗派の本尊が鎮座している。しかし私たちが仏壇に手を合わせる理由は家族に会うためだと思われる。ほとんどの人にとって仏壇とは、先に旅立った家族が住む死後の家のようなものだといえる。日本人の宗教観の中心には、超越的な神仏と並ぶ以上に死者の存在が大きい。

■仏壇や神棚にいる死者

仏壇には通常、阿弥陀如来や釈迦如来といった本尊が祀られている。しかし私たちが手を合わせるとき、本尊を意識して拝むことはほとんどない。大抵は亡くなった家族と対面する。仏壇の中には位牌、遺影、過去帳と、家族関連のものが多い。中心に鎮座しながらも本尊の影は薄いといえる。毎朝「仏さま」にご飯を供えるときの「仏さま」には家族も入っているはずである。

一方、神棚には神様が祀られているが、神様にも記紀に記されているような純粋な神々と、明治神宮の明治天皇、太宰府天満宮の菅原道真、靖国神社の英霊など、人間を神として祀られている場合がある。私たちのほとんどはそれらの「神」を、天照大神や須佐之男命らと並べても違和感を感じることなく尊崇している。本来、人知の及ばない超越的な神仏の世界に死者が溶け込んでいるのである。

■神様 空海

弘法大師空海(774〜835 )は実在した紛れもない人間だが、あちこちの真言系寺院で「お大師さま」と呼ばれて親しまれており、全国に流布していは伝説はほとんど神か仏かというほどである。

空海は治水事業など様々な仕事をした。空海が錫杖を突くと水が出たなどの伝説は、彼が行った治水事業が元になっていると思われる。こうした奇跡譚による大師伝説は全国にあり、様々な奇跡を起こしたとして崇拝されている。そもそも空海本人が未だ高野山奥の院で生きているというのだからもはや人間とはいえない。

真言宗では「南無大師遍照金剛」と唱える。大師は弘法大師、遍照金剛とは本尊・大日如来を意味する。空海の勧請名である。密教には守護仏を決める密教の儀式、勧請がある。曼荼羅に花を投げ、落ちた仏が守護仏となるのだが、空海は2度投げて2度共大日如来の上に落ちたという。つまり「南無大師遍照金剛」とは空海に帰依するという意味である。

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