戦地に駆り出された少年たち!白虎隊が自刃し悲劇の最期を迎えるまで【後編】 (1/3ページ)

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戦地に駆り出された少年たち!白虎隊が自刃し悲劇の最期を迎えるまで【後編】

悲劇の銃撃戦

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戦地に駆り出された少年たち!白虎隊が自刃し悲劇の最期を迎えるまで【前編】

さて、出陣命令を受けた白虎隊はさっそく戸ノ口原に向かいますが、出陣当日は日没を迎えたことで、戦闘は一時中断。

その夜は、進軍してくる新政府軍に備えて陣地を築くことになり、白虎隊も徹夜の作業に参加しました。

そして23日の朝5時ごろ、白虎隊の一部が、接近してきた新政府軍に一斉射撃を開始します。

最初こそ慌てた様子を見せた新政府軍でしたが、次第に押し返されて、会津軍は劣勢となります。やはり、新政府軍の方が、銃の性能は圧倒的に勝っていました。

新政府軍の使う銃は最新式で、飛距離が800~1,200m。これに対して会津軍の銃は城に残っていた旧式のもので飛距離は200~300m程度でした。

それでも少年たちは、銃身が熱くなり素手で持てなくなるまで発砲し続けます。その結果、白虎隊からは3名の死者が出て、ついに持ちこたえきれずに撤退しました。少年たちは、街道を引き返して飯盛山の東側へ逃れます。

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