忠義一筋!人質時代から天下人まで、ずっと徳川家康を支え続けた天野康景・後編【どうする家康】 (2/7ページ)
その時、堺にいた家康は動転のあまり「上洛して追い腹を切る」などと言い出してしまいます。
「落ち着いて下さい。御屋形様のなすべきは、追い腹よりも織田殿へ謀叛した明智光秀(あけち みつひで)への仇討ちにございます」
「そうです。まずは急ぎ本国へ戻り、軍勢を整えましょうぞ」
本多忠勝(ほんだ ただかつ)はじめわずかな供しか連れていなかった家康は、堺より伊賀を越えて岡崎へ帰還(いわゆる神君伊賀越え)。とは言え、その道中は中央の混乱に乗じて落ち武者狩りが横行しており、決して油断のならない状況でした。
「それがしが御屋形様の鎧を着て影武者となりましょう」
康景は家康の鎧を着ることで人目を引きつけ、いざ襲われた時も奮戦して野盗らを撃退したということです。
果たして無事に岡崎へ生還できた家康一行ですが、そのころには一足先に織田家の重臣・羽柴秀吉(はしば ひでよし。後に豊臣秀吉)が明智光秀を討ち滅ぼし、織田政権の継承を逃してしまいました。