忠義一筋!人質時代から天下人まで、ずっと徳川家康を支え続けた天野康景・後編【どうする家康】 (5/7ページ)
幼少期の人質時代からずっと寄り添い続け、三河一向一揆・三方ヶ原・伊賀越えと数々の苦難を共に乗り越えてきた家康と康景の絆は、まさに主従を越えたものだったことでしょう。
本多父子に陥れられ、改易処分の不遇な晩年このまま天寿をまっとうして欲しかったところですが、康景の晩年に大きな不幸が襲います。
慶長12年(1607年)3月9日、康景の下卒が領民を殺したかどで本多正信(ほんだ まさのぶ)・本多正純(まさずみ)父子から責められ、改易されてしまうのです。
「そなたの預かる所領は天領であり、その領民はいやしくも公民である。たとえ彼らが盗みを働いたからと言ってそれを殺してしまうのは、御公儀の権威を損ねるものである(意訳)」
実は以前から康景が蓄えておいた材木がしばしば盗まれてしまうため、家臣に命じて見張らせていました。
そこへまた盗みを働いたので殺したところ、本多父子によって言いがかりをつけられてしまったという次第。
「「さぁ、ただちに下手人どもを引き渡されよ!」」
困ったことになりました。ここで家臣らを引き渡せば、理不尽な罪を認めてしまうことになります。