忠義一筋!人質時代から天下人まで、ずっと徳川家康を支え続けた天野康景・後編【どうする家康】 (6/7ページ)
もしかしたら、元から康景を陥れる目的で領民を買収でもしていたのかも知れません(後に老中の大久保忠隣も本多父子によって失脚に追い込まれました)。
とは言え、ここで意地を通せば永年の忠義が水泡に帰してしまう。それだけは、絶対に避けねばなりません。
(おのれ本多め……かつて三河一向一揆では大御所様に楯突いた帰り新参≒一度裏切って再び仕官した者の分際で、譜代の忠臣を貶めようとは……)
葛藤の末、康景は「保身のために忠義や道理を曲げることは、我が生き方ではない!(直きをまげて曲れるに随はん事、素懐にあらず。新井白石『新編藩翰譜』より)」として城も所領も放棄して出奔してしまったのです。
相模国小田原にある西念寺に蟄居した康景は、そのまま現地で没したのでした。時に慶長18年(1613年)2月24日、享年77歳。
終わりに
家康が天下を獲れたのは、康景のような忠臣たちの献身的な奉公ゆえ。大河ドラマ「どうする家康」では、犬にも喩えられた三河武士たちの忠義を堪能したい。
以上、天野康景の生涯をごく駆け足でたどってきました。嫡男の天野康宗(やすむね)は寛永5年(1628年)に赦されて旗本となり、その家名を後世へ受け継いでいきます。