この世とあの世をつなぐ「食とお供え」の歴史や習わしを紹介 (2/2ページ)

心に残る家族葬

天照大神が鎮座しているのは内宮であり、外宮には豊受大神が祀られている。豊受大神は天照大神に御饌を献上する役目を司る食物神、 食物の神である。

この関係からわかるように豊受大神は最高神である天照大神のいわば食事係である。格下でありながら、内宮・外宮というように伊勢の2枚看板として並んでいることを見ても「食」がいかに重要かが示されている。
なお内宮と外宮の関係は中世になって微妙となり、外宮の宮司家・度会氏が「伊勢神道」を創設した。伊勢神道は豊受大神を天照大神と同格、またはそれ以上の神格であると主張。中世の日本宗教史に大きな影響を与えた。仮にも日本の最高神を相手に張り合えたのは「食」を司る神の強大さ故である。

■キリスト教の聖体

キリスト教のカトリックとオーソドックス(東方正教会)では秘跡(儀式)によって聖別され、聖体(聖餐)となったパンとぶどう酒を信者に与える「聖体拝領」が行われる。新約聖書ではパンとぶどう酒はキリストの血と肉を表している。パンとぶどう酒を聖別することで、パンはキリストの身体、ぶどう酒はキリストの血になるとされる。非常に重要な儀式であり、ここでも神と人の関係に「食」が重要な役割を担っている。

■見えない存在への「いただきます」

食事の前に「いただきます」と言う。近年は動物や植物の命を「いただく」ことの尊さが強調され「食育」が注目されている。これはこれでとても大切な考え方だが、「いただく」のは目の前の命だけではない。生産、調理、流通…そうした手順を経て食卓に並ぶ。そうした様々なつながりに感謝しなくてはならない。ここまでは「見える存在」とのつながりへの感謝の意であり、現代でも受け入れられる考えだと思われる。

一方で見失いつつあるのが、神仏と死者などの「見えない存在」とのつながりへの感謝である。私たちは親、祖父母、先祖らのつながりの末端に位置する。命をつないでくれた血統の先人たちへの感謝を込めなくてはならない。

そして、人間を超える神仏の存在である。超越的存在の否定は人間を傲慢にする。特定の宗教の押し付けになるというなら、宇宙の法則と言っても宇宙的大生命などと表現してもよい。人間が宇宙を作ったわけではない。天地創造、ビッグバン、表現は何でもよいが、始まりから「いま」に至るまでの壮大な物語が一膳の飯、一杯の味噌汁に込められている。食事とは常に「神人共食」の場であり、筆者の造語だが「死生者共食」の場でもある。

■お供えの心

弘法大師空海は高野山の奥の院で今もなお生きているとされている。高野山では毎朝空海へ食事が届けられる。超越的存在となってもなお、食事は必要なのである。

生きることは食べること。同時に私たちは、あの世で生きている死者への食事としての 、また私たちを生かしてくれている存在への感謝としての食事、お供えも忘れてはいけない。


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