そんなに嫌?鎌倉御家人・北条通時(義時の孫)が仕事サボりたさに並べた言い訳がコチラ (3/6ページ)

Japaaan

兩役難治之由申之……

※『吾妻鏡』弘長元年(1261年)7月2日条

流鏑馬神事は毎年8月16日に執り行われる習わしで、現代でも例大祭の最終日に執り行われています(ただし令和4・2022年は新型コロナウィルス対策のため中止)。

たぶんダメ元で言ったのでしょう。幕府当局の担当者である二階堂行頼(にかいどう ゆきより。二階堂行政の玄孫)と武藤景頼(むとう かげより)に叱られてしまいました。

随兵は、鎌倉殿を警護する重要な任務(イメージ)

「8月16日の流鏑馬に出ると言っても騎手を務める訳でなし、8月15日に随兵を務めるのに支障はなかろう。いいから指示に従いなさい!」

……自身非射手者。不可有恩許。早如元散状可爲隨兵……

※『吾妻鏡』弘長元年(1261年)7月2日条

この辺りのやりとりから、通時にとってお役目の辛さは「随兵>流鏑馬所役」であることが判ります。確かに流鏑馬の所役も緊張する(体験談)ものの、鎧を着こんで武装して鎌倉殿に近侍する方がより大変そうです。

しかし通時は諦めません。8月6日、今度は「体調が悪いので辞退したい」と再チャレンジしました。

駿河五郎辞退随兵事。始則勤仕流鏑馬役之間。計會之由申。後亦稱所勞之由。仍度々被仰之處。如去六日請文者。病痾難治之間。加灸之趣也。而當出仕之上者。固辞不可然。

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