そんなに嫌?鎌倉御家人・北条通時(義時の孫)が仕事サボりたさに並べた言い訳がコチラ (1/6ページ)
皆さん、仕事は好きですか?
日々やりがいを感じてイキイキ働く方もいれば、生活費のためにイヤイヤ職場へ行く方もいるでしょう。
しかし、どんな仕事もいいことばかりではなく、時には気の重い役目を負うことも少なくありません。
何とか面倒な役目を免れる方法はないものか……実行に移すかはともかく、一瞬でもそんな雑念が脳裏をかすめてしまうのは、きっと筆者だけではないはずです。
そんな思いは鎌倉時代の御家人たちも同じだったようで、中にはあの手この手で何とかお役目をサボ……もとい辞退できないかと粘る者もいました。
今回は鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』より、北条通時(ほうじょう みちとき)のエピソードを紹介したいと思います。
北条通時のプロフィール北条通時は生年不詳、『系図纂要』によると北条有時(ありとき。北条義時の四男)の次男として誕生しました。
通称は駿河五郎(するがのごろう)。後に式部大夫・従五位下の官位を授かります。
父・有時は庶子(母は側室・伊佐朝政女)で早くに引退したため北条一族の中でも肩身が狭く、幕府の要職に就けたのは通時の子・北条斎時(なりとき。駿河守、元名は時高)一人だけという状態。