古来の神道と外来の仏教 神と仏はどんな対話をし神仏習合を遂げたか (1/3ページ)

心に残る家族葬

古来の神道と外来の仏教 神と仏はどんな対話をし神仏習合を遂げたか

「仏教国」とされる日本だが仏教は本来全く異なる外来宗教である。日本には後に神道と呼ばれる古来からの信仰形態があった。両者は一部の争いはあったにせよ、基本的に排斥し合うことなく渾然一体となった。神道と仏教、神社と寺院、神と仏の一体化。一神教ではありえない「神仏習合」という現象は日本人の宗教心の考える時の重要な要素である。

■興福寺の社参式

奈良・興福寺では、1月2日にトップである貫首以外僧侶たちが春日大社を参拝する。興福寺と春日大社は藤原氏の氏寺・氏神であり深い関係にある。この日は春日大社にとっても神にお供えをする1年の最初の日「日供始」でもあるのだ。僧たちは春日大社の宮司・神官らと共に、よく知られている「般若心経」や、興福寺の宗派・法相宗の教義である唯識思想を説いた「唯識三十頌」などが読誦される。深い関係にあるとはいえ、神社の境内に僧侶が参拝し、神職と共に読経をすることに違和感を感じる人もいるだろう。興福寺の社参式は多元的な神仏習合の姿を今に伝えている。

■本地垂迹説と神仏習合

道行く人に「あなたの宗教は何ですか」と聞けば即座に答えられる人は多くはないのではないか。少し考えて「仏教?」といった答えが返ってきそうであるが、では神社は?と聞きたくなる。初詣や厄除なら寺社仏閣は渾然としているものの、結婚式、お宮参り、七五三とハレの行事には断然神社が有利であり、寺の世話になるのは葬式と法事くらいである。それでも「仏教」に比べて「神道」なる名称はやや弱いように思える。寺と神社の区別を説明できる人も現代ではそう多くないのかもしれない。

元々仏教と神道の関係には渾然一体とした歴史がある。日本に仏教が伝来したのは欽明天皇の御代538年のこと。その後は蘇我物部の崇仏論争からの直接対決や、鑑真(688〜763)の来日による戒壇、つまり正式に僧侶を認定する施設の設立。そしていわゆる南都六宗、奈良仏教の成立など着実に定着していった。同時に外来宗教である仏教と日本古来の信仰形態の神道の折衷が進められ、平安時代末期には「本地垂迹説」が盛んに唱えられるようになる。仏(本地)が衆生を救済するため、日本の様々な神の姿になってこの世に現われた(垂迹)とした上で、神仏は同体であるという思想である。

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