古来の神道と外来の仏教 神と仏はどんな対話をし神仏習合を遂げたか (2/3ページ)

心に残る家族葬

これを基にいわゆる「神仏習合」が行われた。

■仏教神道

最澄(767〜822)は比叡山を開き延暦寺を創建したが、その際に比叡山に鎮座する土着神らを「日吉山王」として祀った。仏教では神々は仏法を守護する役目を司っているとされ、日吉山王神は天台宗の守護神ということになる。天台宗は仏教なので日吉山王神を祀る仏教神道というべき専門部署が必要になる。それが「山王一実神道」として成立。比叡山のふもとに鎮座する日吉大社は全国の日吉・日枝・山王系神社の総本山である。東京の日枝神社などは有名だが、その根底には天台の仏法があるのである。一方、空海(774〜835 )も高野山を開く際に高野山土着の神・丹生明神を祀る丹生都比売神社を創建。この後「両部神道」が成立する。両部神道は本地垂迹説に基づき、本尊の大日如来と天照大神を同体としたり、密教の世界観である金剛界・胎蔵界と伊勢神宮の内宮・外宮を対応させるなどして神仏習合を図った。真言宗寺院と関連人事では、興福寺の社参式のように僧侶が神前で読経をすることが盛んに行われた。

■神宮寺

こうした中で、大規模な神社には神宮寺と呼ばれる寺院が建立され、神に菩薩号(八幡大菩薩など)を授けた。 神宮寺に従事する、いわば神社付きの僧侶を社僧といい彼らによる神前読経などが行なわれた。神道は死をケガレとして避け、仏教がこれを担当した。現在に至るまでこの役割分担は変わらない。しかし神仏習合の時代はハレの場である神社の境内に死を司るべき寺があったのである。神社の最高位、伊勢神宮にすらその名も「菩提山神宮寺」があり大いに栄えたという。しかしここまで概観しても神仏習合とはいうものの神・仏は同等の立場ではなく、実質は仏主神従の状態で「仏神習合」という方が実情に近いように思える。実際、檀家制度も採用されほぼ国教的な地位を獲得した仏教は神道より立場は上で神官は僧侶の支配下に置かれた。その神官たちの鬱積は後の廃仏毀釈につながっていく。

■神道の反撃

「仏主神従」に対して神道側も反撃する。仏教による神道支配の理論である本地垂迹説に対しても理論的な反撃が用意された。

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