文豪・石川啄木の墓はなぜ北海道にある?その謎と悲劇の歌人の生涯を追う【後編】 (2/4ページ)
啄木(右)と親友の金田一京助(左)。1908年(明治41年)10月4日、『明星』終刊の際の写真(Wikipediaより)
その後、森鴎外や与謝野鉄幹・晶子らのサポートを得て文芸誌『スバル』を創刊すると、これを履歴書代わりにして、東京朝日新聞に就職して校正係となりました。
一見するとそれなりにちゃんとやっているようです。しかし、このときも家族への仕送りはせずに給料の大半を遊興に使い、かなり乱れた生活を送っています。
その後、彼は家族を北海道から呼び寄せて、一緒に暮らし始めます。しかし、相変わらずの貧困生活が続きました。