文豪・石川啄木の墓はなぜ北海道にある?その謎と悲劇の歌人の生涯を追う【後編】 (4/4ページ)
その話を聞いた、函館の図書館主事である岡田建蔵が上京して、等光寺を訪れて遺骨を引き取りました。そして帰郷して遺骨を節子に手渡したのが3月27日のことでした。
間もなく、5月5日に節子は安堵したように息を引き取りました。
岡田や、文学仲間だった宮崎郁弥らは節子の遺志を汲んで、函館市の立待岬の海沿いに墓を建て、節子の49日忌に当たる6月22日に啄木らの遺骨を埋葬しています。
現在も、立待岬へ通じる坂道の脇には「石川啄木一族の墓」と記された木標があり、その近くには将棋駒型の墓があります。今でも、多くの人が手を合わせに訪れています。
参考資料
アーバン ライフ メトロ
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan