文豪・石川啄木の墓はなぜ北海道にある?その謎と悲劇の歌人の生涯を追う【後編】 (1/4ページ)

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文豪・石川啄木の墓はなぜ北海道にある?その謎と悲劇の歌人の生涯を追う【後編】

東京での奔放な生活

【前編】では、歌人・石川啄木が紆余曲折を経て、北海道で働き始めたところまで説明しました。岩手生まれで東京で没した彼の墓地がなぜ北海道に設置されたのか、引き続きその理由を説明します。

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文豪・石川啄木の墓はなぜ北海道にある?その謎と悲劇の歌人の生涯を追う【前編】

彼の北海道での生活は1年ほど続き、その間に家族も呼び寄せています。しかし、あくまでも文学家として身を立てることを考えていた啄木は、家族を宮崎郁雨に預けて再び上京しました。

上京後は、中学時代からの大親友である金田一京助を頼りながら小説を書き続けますが、なかなか評価されずに絶望のどん底を味わいます。

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