いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【前編】 (3/4ページ)

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強い個性がある顔よりも、没個性的で取り立てて特徴のない顔の方が美しいとされていたのです。

この点、現代とは正反対ですね。現代の女性のいわゆる美しい顔立ちというのは、メイクによって顔のパーツを際立たせることで成立します。

が、平安時代はその反対でした。当時の絵巻物などを見ても、女性たちの顔が一様に地味で見分けがつかないのも、こうした点に由来します。

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「見られる」ことが前提の美しさ

現代のような、「目を引く」タイプの美人顔が持てはやされるようになったのは、近代以降に西欧文化の影響を受けてからです。

また大正時代以降、メディアの発達によって女性の顔写真などが広まるようになり、「見られる」ことを前提とした美しさが重視されるようになったのも大きいでしょう。

平安時代であれば、女性の顔は家族にしか見せないのが当たり前でした。近代以降、女性の顔を見るまなざしと、見られることを前提とした顔立ちの双方が日本文化の中に登場したということです。

楊貴妃はともかく、クレオパトラという女性が美人の代名詞として見なされるようになったのも、この頃でした。

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