いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【前編】 (2/4ページ)
そもそも、平安時代の貴族の女性は、基本的に顔をむやみに他人に見せないものでしたし、顔を前面に押し出した描写ははしたないものと思われていたので、記録に残りにくいのも当然でした。
改めて、それではなぜ小野小町は世界三大美女のひとりに加えられたのでしょうか。また、この三大美女の中にはなぜヨーロッパ圏の女性は入っていないのでしょうか。実はこの二つの疑問の答えは、深いところで結びついています。
平安時代の美人の基準は?まず、男性女性に限らず「風貌の美しさ」の基準は時代によって違う、という点が大きなポイントです。
小野小町は男性を魅了する魅力があったとされていますが、一方で平安時代は強い個性がない顔の方が美しい、と考えられていました。
当時は、顔の美醜は仏教的な因果応報思想と密接な関係にありました。例えば極端な例としては病気などで顔が変形している場合などは、それは前世の報いであると考えられていたのです。
当時の「美人」の見方もこうした考え方と無関係ではありませんでした。