いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【前編】 (1/4ページ)

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いつ誰が考えた?小野小町はいかにして「世界三大美人」の一人となったか。その経緯を追う【前編】

小野小町はなぜ「世界三大美人」の一人なのか

日本史で「美人」の代名詞と言えば小野小町で、彼女は「世界三大美女」の一人と言われています。しかしこの世界三大美女というカテゴリーは、いつ誰が考えたものなのでしょうか。

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京都山科「随心院」小野小町の歌碑

世界三大美女と言えば、クレオパトラ・楊貴妃(ようきひ)・小野小町です。このうち楊貴妃は、平安時代にはすでに漢詩を手がかりに、とてつもない美女だったということが知られていたので何となく理解できます。

また、【後編】で後述しますが、クレオパトラは大正時代の映画がきっかけで有名になりました。

そして小野小町が加わるのですが、実は歴史記録を紐解いてみても、小野小町が美人だったとはっきり書いてある史料は存在しません。文献でも絵画でもそうしたものはないのです。

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