謀叛人の娘がなんだ!愛妻との離縁を断固拒否した北条朝直(トキューサ嫡男)のエピソード【鎌倉殿の13人 後伝】 (2/5ページ)
「そこで武州(泰時)殿の娘御と再婚の話が……」
「嫌です!」
嘉禄2年(1226年)2月22日、従兄である北条泰時(やすとき)の娘との縁談が持ち上がったものの、朝直は断固として拒否しました。
……武州之女嫁相州嫡男、四郎、依有愛妻、光宗女、頗固辞、父母懇切勧之云々、
『明月記』嘉禄2年(1226年)2月22日条
【意訳】武州の娘を相州(時房)の嫡男である四郎に嫁がせようとしたが、四郎は愛妻(陸奥旨の娘)と別れたくないのですこぶるこれを辞退。両親が懇切に説得したという。
「四郎よ、そなたの気持ちもよう解る。しかし執権殿とつながりを深めて鎌倉殿をお支えする使命を忘れてはならぬぞ」
「そうですよ四郎。何も奥方を離縁せよとは申しませぬ。ただご実家の格を鑑みれば、然るべき座にお迎えするのが筋ではないかえ?」
「断じて否です!彼女は我が生涯の伴侶としてお迎えした以上、側室に格下げせよなどとは承服致しかねます!」
こうして別れろ嫌だの応酬が繰り広げられ、月をまたいでなおも激論が交わされました。
……武州婚姻事、四郎 相州嫡男、猶固辞、事已嗷々云々、相州子息惣非其器歟、成出家之支度云々、依悲本妻之離別也……
『明月記』嘉禄2年(1226年)3月9日条
文中「事已嗷々(ことすでにごうごう)」とあり、事態はてんやわんやの大騒ぎに発展していたことが察せられます。