謀叛人の娘がなんだ!愛妻との離縁を断固拒否した北条朝直(トキューサ嫡男)のエピソード【鎌倉殿の13人 後伝】 (4/5ページ)

Japaaan

朝直の息子たち(イメージ)

長男・北条朝房

通称は武蔵太郎。備中守・式部大夫を歴任し、従五位下に叙せられます。しかし父から勘当(義絶)され、永仁3年(1295年)に鎮西(九州)で亡くなりました。鎌倉を追放されてしまったのでしょうか。

次男・北条時仲(ときなか)

生没年不詳、武蔵左近大夫将監とのみあります。もう少し情報が欲しいですね。

三男・北条時忠(ときただ。大仏宣時)

通称は武蔵五郎。「五郎」は祖父・時房の通称であり、家督を継いだことが判ります。後に宣時と改名、また鎌倉大仏の近くに住んだため大仏宣時(おさらぎ のぶとき)と呼ばれました。

四男・北条頼直(よりなお)

通称は武蔵八郎、一気に跳びましたね。間は女子なのかも知れません(男男女女男女女男男)。こちらもこれ以外に情報がなく、今後の解明が俟たれます。

五男・北条朝貞(ともさだ)

通称は武蔵九郎。コメントは「下野守(に任じられたこと)」のみ。5人兄弟を見ると四男の頼直だけ何の官職もありません。母親は側室(安達義景の娘)か、あるいは更に身分が低かった可能性も考えられるでしょう。

終わりに

閑話休題。こうして愛妻と別れてしまった朝直。しかし泰時の娘としても自分の意思で嫁いだ訳ではないのだし、いつまでも悲しい顔で迎えられてはたまりません。

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