謀叛人の娘がなんだ!愛妻との離縁を断固拒否した北条朝直(トキューサ嫡男)のエピソード【鎌倉殿の13人 後伝】 (3/5ページ)
「嫌だと言ったら嫌です!それでもなお無理強いされるのであれば、それがしは北条を担う器ではないので、出家させていただきます!」
「「それはやめて!」」
余談ながら、朝直の兄である北条時村(ときむら)・北条資時(すけとき)は承久2年(1220年)に揃って出家しており(明確な理由は不明)、この兄弟は何か仏道にご縁があるのでしょうか。
とまぁそんな具合に激しく抵抗した朝直でしたが、寛喜3年(1231年)には泰時の娘が男児を生んでいるため、それまでに離縁したことがわかります。
離縁された妻がその後どんな末路をたどったのか、寡聞にして知りません。
北条朝直の息子たちさて、ここで北条朝直の息子たちについて見ていきましょう。
……申刻。相摸四郎朝直室〔武州御女〕男子平産。
※『吾妻鏡』寛喜3年(1231年)4月19日条
【意訳】16:00ごろ、朝直の正室(泰時の娘)が男児を出産。母子ともに健康。
この子が恐らく長男の北条朝房(ともふさ)。『系図纂要』によると全5名の男子が誕生していますが、朝直は側室として安達義景(あだち よしかげ。安達盛長の孫)の娘も娶っているため、どっち(あるいは身分が低い他の女性)が母親かは不明です。